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NEODEAD MUSIC BLOG

音楽を思考する

日本にハードコア・パンキッシュ・エレクトロニック・メタルが生まれた日(New Breed)

Heart racing moments for all Lovers&Haters

New Breed「Heart racing moments for all Lovers & Haters」★★★★★


スクリーモの正体

スクリーモとは何か。
一言で言えば、ヘヴィメタルとハードコアを両親に持った不良少年のことであると私は解釈している。
歴史的に見れば、Black Sabbathを始祖とするヘヴィメタルがまず世の中に登場し、数度の細分化を経た後、いわばカウンターカルチャーとしてパンクが勃興したのが1970年代。
パンクはその後ニューウェイヴやグランジへと姿を変えていくが、むしろそれは精神性だけが時代を超えて受け継がれたようなもので、高い演奏技術を手に入れたバンド達はそれまでの批判対象であるヘビィメタルをお手本に、いわゆるハードコアパンクとして先鋭化していった流れも忘れてはならない。
このヘヴィメタルとハードコアパンクの抜き差しならぬ蜜月の関係により、1980年代以降はAnthraxやSuicidal Tendencies、Sick Of It Allなど、双方のジャンルの境界線を彷徨うバンドがシーンの人気を集め始めた。
また、Bad ReligionNOFXを代表格とするメロコアというムーブメントが世界を席巻したのも1990年代からであり、ここにスクリーモの産まれる土壌がようやく耕されたと言ってもいい。

さて、音楽的に考察すると、スクリーモとはその名が指すように、スクリーム(絶叫)が印象的な、ハードコアでパンキッシュなメタルの亜種だ。
この辺は混同されがちだが、ボーカルが叫んでいるのはあくまでもスクリームであって、デスメタルにおけるグロウルとは明確に異なるものである。
私などは幼少の頃からMobid AngelやObituary、Entombedなどのオールドスクールデスメタルに慣れ親しんで来ただけに、スクリーモの「絶叫」はデス声とは全く違うと断言出来るのだが、こうしたジャンルに明るくない人にとって、ややもすると「ヘビメタ」的な印象を持たれてしまうこともあるだろう。
逆にこういった界隈の音楽が好きな人にとっても、果たしてこの音楽はメタルなのか、コアなのか、この辺の境界線のボヤけ方は2000年代以降の音楽を象徴しているかのようでもある。

折しも1990年代後半にはGreen Dayがポップパンクの旗手として天下を獲った時期でもあり、この波は21世紀になってもBlink 182やNew Found Gloryなどに継承され、初期スクリーモのバンド達さえも自然とショウビジネスを意識するようになったきっかけの時期とも言える。
これは完全に私の推測だが、彼ら自身が考えたことは至極単純だったと思う。
つまり、激しいリズムにボーカルが絶叫してるだけじゃバンドは売れないという事実。
しかし、絶叫を捨てれば次第に自分達の存在意義は揺らぎ、元のハードコアパンクやメロコアに逆戻りするだけという絶望的な未来。
それはまるで気の抜けたペプシコーラのように、売れ線ポップパンクのようなバンドを目指すということだろうか?
もちろんそれは否、ここで彼らは妙案を思いつく。
それは絶叫パートとクリーンパートが1曲の中に同居するという奇策だった。

しかし奇策と思われたこの手法、地元アメリカでは若者を中心にバカ受けしていくのである。
これは一体何故か?
日本に住んでいる私などは頭を捻って推測することしか出来ないが、恐らく北米市場にはポップパンクへの揺り返しも当然にあったんだろうと思う。
Green Dayの成功以降、ポップパンク勢があまりにもビルボードを意識し過ぎたスタイルに固執していったことは周知の事実だ。
彼らにとってのパンクとは、もはや空虚に響く革命家のスローガンのようなもので、そこに政治的なメッセージやリベラルな思想を基にした歌詞などはほとんど見ることが出来なくなっていた。
そういった反体制的なイデオロギーを封印することで、逆に広く一般大衆の支持を受けることになり、セールス的には大成功を収めていくことになるわけで、この辺はショウビジネス界の光と影、いわばコインの表と裏を見ているようで私としては非常に面白いと感じる事案だ。

兎に角、そういったポップパンク全盛の時代だったからこそ、一部のオーディエンスは「本物」のパンクを切望していたのではないか。
もちろん、この飽食の時代に本物のパンクなど夢、いや幻の類いに過ぎぬことはアメリカ人も分かっていただろう。
ここで言う本物とはつまり居心地の良いアンダーグラウンド性を伴ったパンク的破壊衝動のようなもの、と私は推測している。

案の定、2000年代に突入してからのニュースクールなスクリーモはシーンに鮮烈な印象を与えることに成功した。
ポップパンクとは違い、Aメロから絶叫し続けるボーカルの姿は往年のハードコアパンクの破壊衝動を彷彿とさせるものであり、反面、サビのクリーンパートではメロコアの時代を容易に想起させるような、叙情的で哀愁的なメロディを実装し、一般リスナーを含む多くの観客を魅了したのだ。
安直に喩えるなら、それはまるで絶叫と哀愁が確執を乗り越えて無事に結婚した瞬間のようなものであった。
時代背景として、まずポップパンクへの揺り返しと、それから忘れてはならないのがモダン系エクストリームメタルからこぼれ落ちた若者の受け皿として、この新しいスクリーモの登場はいわば歴史の必然だったのかもしれない。


日本の状況

前置きがいつも通りに長くなってしまい、誠に申し訳ないが、ここで日本の話に移ろう。
日本では、古くからパンクに対して好意的な姿勢を見せていると言ってもいい。
例えば1980年代以降の話をすると、アナーキーやザ・スターリンラフィン・ノーズなどの先駆者的存在が文字通りシーンを駆け抜け、その後Jun Sky Walker(s)The Blue Heartsが国産らしい泣きのメロディを実装し、ポジティブな世界観で聴衆の共感を得たことは記憶にも新しいところだ。
同時期に勃発したBoowyによるビートパンクについては、恐らく書き始めると恐ろしく長い文章になってしまうので、今回は割愛する。
Boowyについての論評は、ゆっくりと腰を据えてから対峙するつもりなのでその時が来るまで今しばらくお待ち頂きたいと思う。

さて、このThe Blue Hearts以降の和製パンク情勢は乱暴に言ってしまえばシーンの二極化というものがある。
1つはThe Blue Heartsをお手本(神)とするポップパンクカルチャーを継承するバンド達。
もう1つはそんなポジティブ系パンクを忌み嫌う先鋭化したハードコアパンク勢の台頭である。
前者はHi-StandardHusking Beeなどのインディーズ系メロコア勢力とも合流し、さらにスカコアエモコアなども巻き込み、今世紀になっても続々と新しいバンドがチャートを賑わしているのは皆さんもご存知の通り。
しかし後者についてはその音楽性故になかなかチャート等に顔を出すこともなく、一部のシーンで熱狂的に支持されることがほとんどであった。
その中でもマキシマム ザ ホルモンの活躍は唯一無二と言っていいほど素晴らしいもので、日本のハードコアパンクの地位を盤石なものとした代表格と言えるだろう。

もう少し時代を遡れば、Cocobatのハードコアシーンに対する貢献度も見逃せない。
彼らの代表曲「Grasshopper」は今も色褪せることのない日本ハードコアパンク史に残る名曲である。
和製Panteraなどと揶揄された時期もあったが、むしろ今から考えればただの褒め言葉にしか聴こえないのも不思議だ。
その他、パンクをこじらせたものに殺害塩化ビニール系、いわゆる猛毒や恐悪狂人団など強烈なインディーズ臭を漂わせるアバンギャルドオルタナ系アーティスト達が群雄割拠した時代もあるのだが、今回のスクリーモとは直接的な関係がない為、残念ながらこちらも割愛することにする。
これはちょうど私が大学生の頃に、メロコアからグランジへと移行する過程でこうした音楽に接する機会に恵まれたのだが、それはまた別の機会に話すことにしよう。

ここで結論を急ぐつもりはないが、乱暴に言ってしまえば、アメリカも日本も、シーンの構造は似ている。
まず始めにキャッチーでコマーシャルなパンクの台頭があり、それに対するカウンターカルチャーとしてのハードコアパンクの存在。
この図式は恐らく世界各国、ほぼ共通しているのではないかと考えられる。
そうした中で、ポップとハードコアが同居したスクリーモという音楽が、果たして今の日本ではどう受け入れられているのか。

現状として、シーン全体のセールス状況は芳しくないものの、国産アーティストの質そのものは年々好転していると私は感じている。
その1つの要因に、国産スクリーモの場合、同ジャンルのアメリカの先達が奏でたサウンドを真似るのではなく、様々なジャンルを飲み込みながら独自の解釈を行っている点が大きい。
ここ1、2年でメディアへの露出量も劇的に増えたFear, and Loathing in Las Vegasなどはその典型であろう。
彼らの音楽性はスクリーモをさらに発展させたハードコア・パンキッシュ・エレクトロニック・メタルである。
そう、国産スクリーモの特徴として、エレクトロニックな要素をごく自然に取り入れている点、ここが重要なポイントであると私は考える。


ハードコア・パンキッシュ・エレクトロニック・メタルの誕生

そこでようやく、今回取り上げる国産スクリーモ、New Breedの話に移りたい。
カナダ生まれカナダ育ちのVocalをフロントマンとするこの4人組は、2003年頃から活動を開始、その後2010年になってようやくCDリリースの機会に恵まれたバンドである。
この「Heart racing moments for all Lovers & Haters」というアルバムは収録曲が8曲と少ないながら、事実上、彼らにとってのデビューアルバムだ。
まず1曲目の「-intro-」からしてTrance系音色を派手に使ったClub Music風なインストが炸裂しており、これはつい先ほど述べたエレクトロニック性を強く印象付ける格好だ。
間髪入れず2曲目「Ruling ground」は、イントロからギターとベースが高速ユニゾンする、まるで北欧メロデスのような世界観を持った楽曲。
しかし、1分30秒を経過したあたりから雰囲気は一変し、エキセントリックなブレイクの後、再びメロデスへと回帰していくという、息つく暇を与えないアグレッシブなアレンジが魅力的な曲でもある。
続く3曲目「Answers」ではモダン系ヘヴィメタル風なギターリフから始まるものの、サビでは哀愁系美旋律が初めて登場し、New Breedの印象をほのかに決定付ける曲となっている。
特にこの曲におけるBメロの疾走感たるやとても素晴らしいもので、このジャンルに初見の方であってもボーカルのスクリームなどは全く気にならない心地良さが混在していることを、今ここで保証しよう。

そして4曲目には「Immune to anything but you…(HLH Mix)」という彼らにとっての代表曲が満を持して登場する。
私はこの曲を聴いた瞬間、直感的に国産スクリーモの未来は明るいと確信をしたと同時に、非常に大きな衝撃を受けたことを今でも憶えている。
疾走感、哀愁感、そして激情性が絶妙なバランスで成立しており、実際にこの曲を聴いてからすでに2年が経過するが、未だこの曲を超えるスクリーモ関連の楽曲には出会っていない。
むしろこのノスタルジックな旋律などは日本を強く意識させるものであり、いわゆる海外製スクリーモからは得られないカタルシスの類いである。
私はひとまずこの曲をハードコア・パンキッシュ・エレクトロニック・メタルの頂点と考えているのだが、果たして皆さんはどう感じるだろうか。
音楽的には新しいことをやっているはずなのに、どこか我々の郷愁的な感情をチクチクと刺激するところは、未だ私にも謎が解けない摩訶不思議アドベンチャーな世界である。

5曲目「Friday Night Kings」は3曲目の「Answers」と似た構成の楽曲だが、ポップさがグッと増しており、この辺はVocalのスクリームパートが少ないことからもお分かり頂けることだろう。
6曲目「Back to Back with separate timelines」は印象的なシンセ音色から始まるミドルテンポなライブ向き楽曲。終盤の大サビ直前に小粋なブレイクを挟み込むなど、楽曲を彩る憎い演出はここでも健在だ。
7曲目「Distant... Closer,yet apart(HLH Mix)」は、こちらもミドルテンポだが、私にとっても本作で2番目に気に入っているポップナンバーである。
例えばBメロからサビへと続くビルドアップ感など、もはやこれは新人の部類ではなく、これだけのアレンジを実践出来ることに正直言って舌を巻いた。
サビにおいても印象的な美旋律に満たされ、もはやスクリームの欠片もない楽曲だが、国産スクリーモとしてこの曲はあっていい。
むしろこういう曲が書けないことには、国内の市場で生き残るのは厳しいとさえ思う。
そんなことは分かってるよ、と8曲目「Cut me loose」も直前の曲とベクトルの方向は同じであり、彼らの日本人らしいポップス性がふんだんに盛り込まれた内容で本作の幕を閉じている。

ここで少し面白い話をしよう。
私としては単純に良い悪いの二元論にするつもりは全くないので、努めて冷静に読んで頂きたいのだが、国産スクリーモの未来への道筋というのは、大きく分けて2つあると思う。
それを山下達郎さだまさしという日本の大御所に喩えてみたい。
客観的に見て、まず山下達郎というアーティストは徹底的にアメリカンポップスを研究し、それを体現し、最終的に日本人の琴線に触れる哀愁性を身に付け、それを独自のポップス哲学に落とし込んで名曲を多数輩出してきた偉大なシンガーソングライターだ。
対してさだまさしは自身のルーツを加山雄三と断言するほど、元々日本の叙情性を重んじた曲作りを行っており、もちろんサイモン&ガーファンクルなど海外からの影響も曲によっては強く匂わせるが、基本骨格は独自の日本的郷愁性を重視した、こちらも偉大なるシンガーソングライターの1人である。

New Breedが試みていることは、間違いなくさだまさしの手法だ。
海外や他ジャンルからの影響はあって当然だが、彼らの曲作りにおいて現地アメリカのスクリーモを模倣したような痕跡はあまり見当たらないのだ。
これはFear, and Loathing in Las Vegasにも同じことが言えるのだが、サビに関してもアメリカ独特の大陸的哀愁性を取り入れるのではなく、あくまでも日本人好みな郷愁性を誘うように工夫を施している点は驚嘆に値する。
本作は全編英語歌詞なのだが、もっと海外受けする楽曲を作ろうと思えばいくらでも作れたはずだ。
しかしあえてそれはしないという選択。
私が国産スクリーモの未来が明るいと感じたのはまさにそこだ。
山下達郎のように、全ての芸術及び文化は創造的模倣から始まっていることも事実なのだが、New Breedのようにあえて海外とは同じことをやらないんだという気概、これは21世紀以降の邦楽界を象徴するトピックになるのではないかと思う。

実際、彼らの音楽はスクリーモという一言で形容されるべきものではなく、すでに何度も引用しているように、ハードコア・パンキッシュ・エレクトロニック・メタルの権化と言ってもいい。
少し前に、幸運にもネット上でメンバーと話をする機会があったので、試しに音楽的ルーツを手探りで探ってみたのだが、やはり各人の音楽嗜好の幅広さは特筆すべきものだった。
特にこの手のジャンルではサウンドの要となるギターのTama氏に至っては、ドイツのEBM方面からの影響も色濃く残っている模様で、それが結果的にNew Breedにおけるエレクトロニック要素にこうしてフィードバックされているのはとても痛快に思えた。
メンバーのこうした音楽的ルーツの一端はインタビュー記事などを見ない限り、私達一般リスナーにはあまり見えて来ない部分なのだが、そういった話が少しでも交わせたのはやはり幸運だったと思う。

さて、彼らはもちろん2013年現在も勢力的に活動中である。
昨年には2ndアルバムとなる「the PIONEERS of SENSATION」もリリースされた。
すでにここまで長々と書き連ねてしまったので、その感想はまた別の機会に譲るとしよう。
それよりもまずは本作「Heart racing moments for all Lovers & Haters」を多くの方に聴いてもらうのが先決だ。

正直言って、スクリーモだろうがエモコアだろうがハードコアだろうが、そんなジャンル分けはどうでもいい話だと思っている。
そもそも幾多もある音楽をいちいちカテゴライズして語るなど無意味で空虚な作業でしかなく、そんな暇があるなら1枚でも多くのCDを聴いた方がいい。
じゃあお前のこの長いダラダラとした文章は何なんだ、と言われれば私も一瞬返答に困ってしまうが、結局のところ、私が良いと思ったものは独り占めせずに1人でも多くの方に味わって頂きたい、というのが正直な感想であって、本作「Heart racing moments for all Lovers & Haters」は、そんな私の気持ちを代弁してくれているかのようなタイトルでもあるのだ。
かつて私のようにバンド活動をしたことがある人は特に、このアンサンブルのカタルシスは体験してみて欲しい。





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