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NEODEAD MUSIC BLOG

音楽を思考する

2013年、LUNA SEA復活の意義

CD Review

A WILL

LUNA SEA「A WILL」★★★★☆


日本の音楽市場が衰退した原因

音楽市場の衰退が叫ばれて久しい。
特に日本におけるJ-PopやJ-Rockのマーケットは年々縮小傾向にあり、それはCDやMP3の売り上げを見れば誰の目にも明らかである。

理由は諸説ある。
多様化及び細分化するライフスタイルの中で、音楽そのものの価値が相対的に低下してしまったのではないか。
いや、ダウンロード違法化やDRMによる過度なライセンス管理により、消費者の購買意欲が削がれてしまったのだという意見。
はたまた、高速なインターネット回線の普及によって動画サイトへのアクセスが急伸し、音楽を閲覧のみで自己完結するユーザーが増えたのではないかという説もある。

根本的な話をしよう。
音楽市場の衰退は、ひとえに魅力的な音楽が減ってしまったことが原因である。
否、これでは多少の語弊があるので言い換えよう。
音楽市場の衰退は、ひとえに魅力的な音楽が減ってしまった「ように見える」ことが原因である。

有史以来、音楽そのものは今日においてもその進化は止まっていない。
それはどのジャンルにも共通することで、確かに進化の速度自体はやや低速になってしまったかもしれないが、着実に革新的な音楽は毎年のように産声をあげている。
革新的なものが必ずしも良いものとは限らないが、要はそういった素晴らしく魅力的な音楽をリスナーである私達がすぐにキャッチ出来るかどうかという点において、80年代〜90年代というのはレコード会社及び小売店が大きな影響力を持っていたはずだ。
所謂レコード会社のA&Rマンがロックスターの卵を見つけ、育て、そして成功させる常勝パターンである。
この必勝方程式はリスナーのニーズと合致すればビジネス的にも大きな成功を収めることになる。
しかしそれはあくまでも、リスナーのニーズと合致すれば、の話だ。

2000年代以降の日本のチャートミュージックを振り返った時、必ずしもリスナーのニーズに応えきれていない部分が多い。
これは単純にレコード会社の思惑とリスナーの希望及び要望が全くシンクロしていないことを意味する。
ここに所謂ステマと呼ばれる悪しき習慣が存在し、結果、音楽市場はレコード会社の空回り劇場となって喜劇&悲劇の舞台となってしまった。

もちろん、一昔前に比べてレコード会社の媒体戦略もしたたかに方向性が変わってきた。
今は1人1台のスマホ社会と呼ばれるほど、高速なインターネット回線に支えられた情報化社会である。
雑誌やTVにおける旧来の露出方法からWebにシフトする流れは確かに自然かもしれない。
だが、現状として十分にそれらWebマーケティングが生かされているのかどうか、この点は疑問の残るところである。
もちろん、00年代以降、ネットから火が点いたアーティストも多数存在するのは事実だ。
しかしそこで完結してしまってはいないだろうか。

例えば坂本龍一の娘、坂本美雨が2011年に発表した「HATSUKOI」というアルバムがある。
彼女にとっては8作目となる作品だが、その中身はエレクトロニカに近接した、J-Popとしては非常に革新的な内容であり、彼女にとっても傑作とも言える内容だった。
プリミティブで柔らかいタッチのシンセを軸に、日本語メインのポジティブな歌詞が華を添え、文字通りジャパニーズ・エレクトロニカシーンの夜明けを感じさせる作品と言えた。
しかしこれがチャートでは最高位67位という惨憺たる結果に終わり、当時の私はかなり落胆したことを記憶している。

まず2011年にこういった趣旨の作品が世に出る意味をレコード会社が本当に理解していたのかどうか。
まさにエレクトロニカは今に始まった音楽ではない。
IDMと呼ばれた時代から脈々と続く歴史ある崇高なジャンルであり、加えて音楽機材の進歩を肌で感じることの出来る資料的価値の高い音楽でもある。
これを坂本龍一の娘というある種サラブレットのアーティストが、低迷するJ-Pop市場にも分かりやすく提示したのが「HATSUKOI」であり、これをきっかけにヒップホップやハウスといった所謂打ち込み系音楽の中で、新たな市場開拓及び新規顧客の確保も決して夢ではなかったはずだ。

思うに、この「HATSUKOI」という作品を起点にしたロードマップがレコード会社内に存在していたかどうかさえ怪しい。
例えばこの作品で初めてエレクトロニカに触れた人が、次に手にすべき作品は何なのか、そしてゴールはどこなのか。
Ulrich SchnaussKettelなど海外勢はもちろんだが、No.9など、日本にも真面目にエレクトロニカを奏でるアーティストは多数存在する。
音楽は1人のアーティストを売ってしまえば、そこで完結する類いのものではない。
そのアーティストに近い音楽、つまり周辺ジャンルを巻き込んで初めて文化の発信という歯車が動いてゆく。

90年代まではそういった仕事はタワレコHMVなど小売店が主に担っていたが、音楽不況に陥った00年代において、パブリシティを手掛けるレコード会社の怠慢の方が罪が重い。
この「HATSUKOI」に関しては、ただ漠然と坂本美雨というアーティスト単体を売るのではなく、ジャンルを含めて大きなムーブメントを起こすのだという気概がレコード会社に足りなかった失敗例と言えるだろう。
(言うまでもないが、アルバムの中身、所謂音楽それ自体は傑作である。)


J-Rock界に喝を入れる予定調和の復帰作

さて、いつものように前置きが長くなってしまったが、今回は13年ぶりに復活したLUNA SEAの復帰作「A WILL」の感想を残しておきたい。
インディーズ期から彼らを知る者として、今回の復活は素直に嬉しい反面、彼らが復活しなければならないほど日本の音楽市場は危機的状況にあるのか、という現実を見せられたような気分でもある。

すでに上段でも述べたように、ある意味で昨今の音楽市場のつまらなさはレコード会社の怠慢にある。
これはある芸人が以前にTVで言い放っていたことだが、「僕がお洒落じゃないのは、お店にお洒落な服がないから。というよりお洒落じゃない服は置かないで欲しい。」という考えはそのまま音楽業界にも該当する。
つまり、本当に素晴らしい楽曲ばかりがチャートにランクインされていれば、自然に一般リスナーのミュージック・リテラシーは高まり、やがて日本の音楽文化は世界に堂々と胸を張ることが出来る、ということ。
もちろん、これが理想論に過ぎないことは百も承知であるが、今のチャートの顔触れを見れば生来の音楽好きなら誰もが悲観的に捉えてしまうことは仕方のないことだろう。
アイドルという日本独自の魅力的なカルチャーを否定するつもりはないが、果たして今の日本のチャートで世界と互角に戦えるのだろうか、甚だ疑問である。

加えて、LUNA SEAのようなバンド形態のアーティストもここ数年でさらに表舞台から姿が見えなくなったように思う。
フジロックサマソニなどのフェスでは抜群の集客力を誇るバンドも、チャートにはあまり顔を出さないという不可思議な現象も起きている。
要するに楽曲は一般受けしないがフェス層からは手厚い支持を受けているという意味だろうか?
もし仮にそうだとして、これはアーティストとリスナー双方にとって、果たして幸せなことだろうか?

そもそも、音楽という文化が一般大衆の目に止まるチャート上において、自身の好きなアーティストが姿を見せるかどうかという点は非常に重要なことだ。
だからといって、売れるものが良いとは決して言えない世界でもある。
しかし、良いものは必ず売れる時代であって欲しいとも思う。
そして、良いものにはすべからく理由があるという事実。
例えばそれはメロディや歌詞であったり、バンドで言えば歌唱力や演奏技術の高さだったりもするが、そういった意味で今回のLUNA SEAの復帰作品はまさにバンドサウンドのお手本とも言える内容に仕上げてきたというのが第一印象であった。

比較的、LUNA SEAは活動期間も長かったバンド故に、ファンによってはどの時期を好むかで評価が分かれそうな作品でもある。
少し乱暴だが、1st「LUNA SEA」から4th「MOTHER」までを前期、5th「STYLE」から7th「LUNACY」を後期とするならば、本作「A WIILL」の立ち位置は後期視点から見た前期の再現といった趣きである。
(要するにカラダは後期、ココロは前期、という意味である。)
象徴的なところで、3曲目「The End of the Dream」や8曲目「Metamorphosis」、10曲目「Thoughts」など、インディーズ期〜前期を彷彿とさせるスピード感あふれる楽曲の存在が頼もしいところだが、どこか落ち着いた印象を抱いてしまうのは少し切ない。
だからといって、個々のメンバーが特段無理をしている素振りはなく、良くも悪くも予定調和で自然体な復帰作という印象なのである。

数年前にUNICORNが再結成し、同じように復帰作としてアルバムを発表したが、あちらはメンバーの個性をあえて自由に発散させることで、内容としては良い意味でまとまりに欠けた、いわば総天然色に近い作風だった。
ロックという大枠の中で、こうしたバラエティ豊かな楽曲群というのは、確かに後期UNICORNの持ち味でもあったが、それが原因で解散に舵を切ってしまったこともファンとしては忘れられない事実であり、私としては前期UNICORN(「服部」以前)の空気をあまり味わえなかったことが心残りとなる復帰作となってしまった。

対して、LUNA SEAの魅力は各メンバーがバンドにおける自分のポジションを恐ろしいほど客観的に理解している点にある。
今回の復帰作品をリリースするまでに、各々のメンバーはソロ活動なり充実した音楽活動を行っていたことは明白であり、それらをバンド本体にフィードバックしていくのは当然の流れである。
しかし、自身の個性を闇雲に投影するのではなく、まずLUNA SEAらしさとは何かという視点に立った作曲及びアレンジが大前提にあり、これによりアルバム全体がとても引き締まった印象に見えるのだ。
前期LUNA SEAが好きだった私が本作「A WILL」を最初に聴いた時、若干の物足りなさよりも、LUNA SEAという美的世界観が全く崩壊していなかったことに思わず称賛の気持ちを抱いてしまったほどだ。
これはつまり、ファンであれば楽曲の展開は大方予想することが出来るし、後期LUNA SEAが得意としたバラード系楽曲の効果的な配置なども含め、全体主義に基づいた、予定調和な大人系LUNA SEAの姿を誰もが目撃することが出来るという意味である。

結論として、バンドサウンドとは何かという問いに対して、ベテランらしい模範回答がこの「A WILL」に集約しているのだ。
言うまでもなく、バンドとは一定の価値観を持った人間の集合体であり、それが5人なら5人の意識を音楽として具現化することに意義がある。
UNICORNのように、異なる個性のぶつかり合いによってバンドの音楽性を拡張していく手法もあるが、正攻法としてはLUNA SEAが正解だろう。
5人の意識が音楽という塊感としてリスナーの胸に届き、さらにバンドは手応えを得るというWin-Winの関係がここに成り立つからだ。

願わくば、このLUNA SEAの復帰作品をきっかけにバンドサウンドにも再び脚光が当たって欲しいと思う。
レコード会社にとってもこれはチャンスであり、かつて流行したバンドブームへの1つのきっかけでもあるはずだ。
今は知名度がなくとも、高品質な楽曲を奏でるバンドは日本にも数多く存在している。
彼らがビジネス的にも成功することで、若者が音楽を生業とする気運も高まり、それはやがて文化として強固に定着していく流れにも繋がることだろう。

兎に角、この不況漂う日本の音楽市場において、LUNA SEAの復活は誠に喜ばしいトピックである。
前作からは13年ぶりの新譜となるが、そんな月日は微塵も感じさせない、J-Rockの新しい教科書と言えよう。
普段から再結成という話題には懐疑的な私だが、今回のLUNA SEAのシーンへの復帰はタイミング的にも救世主感を感じずにはいられない。
ファンなら当然にチェックすべき作品であるし、全盛期を知らない若いリスナーにもぜひ体験してもらいたい、真のバンドサウンドがここにある。

恐らくきっと、今だからこそ売れるべき音楽であることを、LUNA SEA自らで証明することになるだろう。
2013年、LUNA SEA復活の意義はまさしくそこにある。





A WILL
LUNA SEA
A WILL
曲名リスト
1. Anthem of Light
2. Rouge
3. The End of the Dream
4. MARIA
5. Glowing
6. 乱
7. absorb
8. Metamorphosis
9. 銀ノ月
10. Thoughts
11. Grace

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